ディジョンと粒マスタードの違いは、原料ではなく製法にある。仏政令はディジョンを種子を篩う(tamisées ou blutées)製法、粒に近い「à l’ancienne」を篩わずに粗く挽く製法と定義する[1][2]。輸入食材店で選ぶ際は、辛さの強弱より粒の残り方を基準にすると分かりやすい。
- ディジョンと粒マスタードの違いは種子の品種ではなく製法で、フランスの政令では挽いた種子を篩うか篩わないかで分かれる。
- なめらかさが要るドレッシングや乳化ソースにはディジョン、粒の食感を見せたい肉の付け合わせには粒タイプが向く。
- 「ディジョン」は産地ではなく製法の名で、日本の「粒マスタード」もフランスの規格と同一とは限らない。
この記事は「マスタード完全ガイド|ディジョン・粒・イエローの体系」(「世界のテーブルソース図鑑|卓上の1本を体系で読む」の一部)の各論です。
結論:仏政令はディジョンを篩うもの、粒を篩わないものと書き分ける
フランスの「Décret n° 2000-658」は、マスタードの名称ごとに製法上の条件を条文で分けている。ディジョン(moutarde de Dijon)を定める第3条は、種子を挽いたのち「tamisées ou blutées」(篩う、または篩い分ける)ことを要件に含む[1]。一方、à l’ancienne(粒に近い製法)を定める第6条は、「broyage grossier, sans tamisage ni blutage」(粗く挽き、篩わず、篩い分けもしない)と条文に明記する[2]。両者の分岐点は原料の品種ではなく、挽いた後に篩う工程を通すかどうかにある。
篩うか篩わないか、それだけの違い
第3条・第6条ともに使用できる種子の品種は同じで、いずれもBrassica nigra(黒からし菜)またはBrassica juncea(からし菜)の非脱脂種子に限られる[1][2]。違いが生まれるのは挽いたあとの工程で、ディジョンは篩って種皮や粗い破片を取り除き、à l’ancienne は篩わずにそのまま仕上げる。舌触りの差はここに集約され、ディジョンは滑らかなペースト、à l’ancienne は種子の粒感が残る質感になる。
辛さの強弱は本記事で断定しない
見た目の粗さから「粒の方が辛い」「ディジョンの方がマイルド」と語られることがあるが、この判断を支える一次資料は今回参照した条文・仕様書には含まれていない。辛さは種子の品種・挽き方・希釈液の配合など複数の要因が絡むため、条文が定めるのは製法上の分類であって、辛味の強弱を数値や等級で保証するものではない。舌触りと見た目の設計に絞って両者を比較し、辛さの優劣には立ち入らない。
仏政令は、名称の違いを工程の違いとして書き分けている。この書き分けを知っておくと、ラベルの読み方が変わる。
ディジョン(第3条)の要件:Brassica nigra/junceaを挽いて篩う
使用できる種子の品種
ディジョンの名称を使えるのは、Brassica nigra種またはBrassica juncea種の種子のみを原料とした製品に限られる[1]。他の品種を混ぜた製品や、これら以外の種子を主原料とした製品には、ディジョンの名称を使うことができない。
篩う(tamisées ou blutées)という工程
条文が定める工程は「broyage」(挽くこと)に続く「tamisées ou blutées」(篩う、または篩い分ける)である[1]。この工程で種皮や粗い破片が取り除かれ、なめらかなペースト状の仕上がりになる。フランス語の tamiser(篩う)と bluter(篩い分ける)はいずれも粒度をそろえる工程を指す語で、条文はこの二つの方法のどちらでもよいとしている。
非脱脂であることの意味
条文は種子が non déshuilées(脱脂していない)であることも要件としている[1]。種子から油分を抜いていない状態で挽くという条件で、これはディジョンと à l’ancienne の両方に共通する要件でもある[1][2]。条文はこのほか種子由来の乾物含有率の下限や残留種皮の割合の上限も定めているが、具体的な数値は本記事の主題である舌触りの設計とは別軸のため触れない。
à l’ancienne(第6条・2017年改正後)の要件:粗挽き・篩わない
粗挽き・篩わないという工程
第6条は à l’ancienne の名称を「broyage grossier, sans tamisage ni blutage」(粗く挽き、篩わず、篩い分けもしない)の製法に限定する[2]。使用できる種子はディジョンと同じくBrassica nigraまたはBrassica juncea種の非脱脂種子で、篩う工程を経ないことが唯一の分岐点になる[2]。
2017年の政令改正で明確になった条文
現行の第6条は「Décret n°2017-325 du 13 mars 2017」による改正を経た条文である[2]。この改正で条文がどこまで書き換えられたかの詳細は本記事の参考資料からは判別できないが、2017年時点の改正を経た条文が現行版として有効であることは確認できる。年代を示す場合は、この2017年という改正年のみを一次資料の範囲として扱う。
日本語の「粒マスタード」との距離
日本の市場で「粒マスタード」と呼ばれる製品は、種子の粒感を残した製法という点で à l’ancienne に近い性格を持つ。ただし「粒マスタード」という呼称自体は日本の商品分類上の通称であり、仏政令の à l’ancienne の条文要件(品種・非脱脂・篩わない粗挽き)をそのまま満たしているかどうかは製品ごとに異なる。両者を同一の規格として扱うのは誤りで、あくまで似た製法傾向を持つ別々の呼称として区別しておく必要がある。
以下は、二つの条文が定める要件を整理した表である。数値が確認できない項目は数値を書かず、条文上の分類のみを示す。
| 項目 | ディジョン(第3条) | à l’ancienne(第6条) |
|---|---|---|
| 使用できる種子の品種 | Brassica nigra または Brassica juncea[1] | Brassica nigra または Brassica juncea[2] |
| 種子の脱脂状態 | 非脱脂(non déshuilées)[1] | 非脱脂(non déshuilées)[2] |
| 挽いたあとの工程 | 篩う・篩い分ける(tamisées ou blutées)[1] | 篩わず・篩い分けもしない(sans tamisage ni blutage)[2] |
| 仕上がりの粗さ | 微細(篩い分けあり) | 粗挽き(broyage grossier)[2] |
| 直近の条文改正 | 記載なし | 2017年(Décret n°2017-325)[2] |
「ディジョン」は産地名ではなく製法の名前
製法名としてのディジョン
第3条の条文には産地に関する要件が含まれておらず、種子の品種・脱脂状態・篩う工程についての規定のみで構成されている[1]。つまり「ディジョン」という名称は、フランスのディジョン市やその周辺で製造されたことを保証する産地呼称ではなく、篩う工程を含む製法を指す名称として条文上定義されている。
産地に縛られる Moutarde de Bourgogne PGI
これに対して「Moutarde de Bourgogne」(ブルゴーニュのマスタード)はPGI(地理的表示保護)として登録された別の呼称で、原料の種子がブルゴーニュ地方で生産・保管されていることや、希釈液にブルゴーニュ産の白ワインを一定割合以上使うことなど、産地に紐づく要件を持つ[4]。仕様書には味の特徴として「intensely sharp」(強く鋭い辛さ)で白ワインの風味が強いという記述もある[4]。
二つの呼称が矛盾なく併存する理由
ディジョン(製法名)とMoutarde de Bourgogne(産地呼称)は、どちらも「篩ってなめらかに仕上げる」という製法自体は共有しつつ、名称の縛り方が異なる。ディジョンはフランス国内のどこで作られても製法要件を満たせば名乗れるのに対し、Moutarde de Bourgogneはブルゴーニュ地方産の種子と地域産ワインの使用が条件になる[4]。輸入食材店で Dijon とだけ書かれた製品と Moutarde de Bourgogne と明記された製品とでは、名称が伝える産地の情報は後者の方が多い。
産地を連想させる名前でありながら、条文上は製法規定であるという二重性は、輸入食材の名称を読み解くうえで見落としやすい点である。
Moutarde de Bourgogne PGI・2023年改正が説明する「篩わない製品」の性質
2023年の仕様変更が加えた記述
EU官報(Official Journal of the European Union C 55)に掲載されたMoutarde de Bourgogne PGIの仕様変更申請には、「unsieved product」(篩わない製品)について、種子が完全には砕けていないことに触れる記述が加えられている[3]。この記述はPGI仕様書の中の一文であり、à l’ancienne 全般を対象とした条文ではない点に注意が必要である。
乾物・脂肪が低くなる理由
同仕様書は、篩わない製品では種子が砕けきっていない(まったく、または一部しか砕かれていない)ため、乾物含有率と脂肪含有率が低くなると説明する[3]。砕け残った種子が製品全体の破砕度を下げ、乾物・脂肪の割合を相対的に下げるという関係性が示されているが、具体的な下限値・数値そのものは本記事の参考資料には含まれていないため、数値化しない。
à l’ancienne全般には広げない
この「篩わない製品は乾物・脂肪が低い」という説明は、Moutarde de Bourgogne PGIという特定の産地呼称の仕様書の中の一文であって、フランス国内で流通するà l’ancienne全体、あるいは日本で「粒マスタード」と呼ばれる製品全般に当然に当てはまる説明ではない。PGIという別の規格体系の話として帰属させ、一般化しないことが条文の読み方として正確である。
使い分け:舌触りと見た目で選ぶ場面
舌触りで選ぶ
なめらかなペースト状に仕上げたい料理には、篩う工程を経たディジョンが向く。ドレッシングやマヨネーズ風の乳化ソースに混ぜる場合、粒が残っていると乳化が不均一になりやすく、なめらかな質感を保ちたい用途ではディジョンの方が扱いやすい。
見た目・ソースとの一体感で選ぶ
粒の存在感を見せたい料理には、篩わずに粗挽きのまま仕上げたà l’ancienne タイプが向く。ソーセージやローストした肉に添える場面、パン粉やハーブと和えるクラストに混ぜる場面では、粒の粒感がそのまま料理の質感として残る。
代用するときの考え方
- なめらかさを優先する料理でディジョンが手元にない場合、粒タイプを裏ごしして使うと質感を近づけられる(ただし条文上の分類が変わるわけではない)
- 粒感を活かす料理でディジョンしかない場合、粒感自体は再現できないため、別の食材(粗く刻んだ種子など)で質感を補う発想になる
- 辛さの強弱を基準に代用先を選ぶ場合、条文は辛さの数値を保証していないため、実際に少量ずつ試して判断する
関連記事への委譲
マスタードの辛さの化学的なしくみや世界の種類の全体像については/mustard-guide/、ディジョンマスタード単体の歴史や銘柄については/dijon-mustard/、自分で仕込む場合の工程については/homemade-mustard/で扱っている。本記事は製法条文の書き分けと舌触り・見た目の設計に絞って整理した。
結論・考察
ディジョンと粒マスタード(à l’ancienne に近い製法)の違いは、種子の品種でも産地でもなく、挽いたあとに篩うかどうかという一点にある[1][2]。産地を保証する呼称はMoutarde de Bourgogne PGIのような別の規格体系が担っており、ディジョンという名称自体は製法名として条文上定義されている[1][4]。輸入食材のラベルを読むときは、篩う製法の名称か篩わない製法の名称かを確かめるだけでも、選び方の軸がはっきりする。辛さの強弱で選ぶ前に、なめらかにしたいか粒を残したいかという舌触りの狙いから選ぶ方法もある。
関連記事
参考文献
- Décret n° 2000-658 du 6 juillet 2000 relatif aux dénominations des moutardes, Article 3
https://web.archive.org/web/20240828140651/https://www.legifrance.gouv.fr/loda/article_lc/LEGIARTI000006599689 - Décret n° 2000-658 du 6 juillet 2000 relatif aux dénominations des moutardes, texte intégral(Article 6 modifié par Décret n° 2017-325)
https://web.archive.org/web/20240828140646/https://www.legifrance.gouv.fr/loda/id/JORFTEXT000000218338 - Publication of an application for approval of a non-minor amendment to a product specification – ‘Moutarde de Bourgogne’ (PGI), Official Journal of the European Union C 55, 14.2.2023
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/HTML/?uri=uriserv:OJ.C_.2023.055.01.0005.01.ENG - Publication of an application pursuant to Article 6(2) of Council Regulation (EC) No 510/2006 – ‘Moutarde de Bourgogne’ (PGI), Official Journal of the European Union C 72, 26.3.2009
https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/HTML/?uri=CELEX:52009XC0326(04)
