シナモンの香気成分クマリンは、EUの香料規則(EC)No.1334/2008の附属書IIIに位置づけられた物質であり、食品への添加そのものではなく複合食品への移行量に上限がかかる仕組みで管理されている[1]。輸入食材店でシナモンパウダーの缶を手に取っても、缶のラベルに上限値が書かれていないのはこの枠組みのためである。
- シナモンの香り成分クマリンは動物実験で肝臓への影響が調べられ、EUは食品への直接添加を禁じ含有量にも上限を置く。
- 上限はシナモン表示のある伝統的・季節的なベーカリー製品で50mg/kgなど食品別で、香料なしで香りづけがハーブ・香辛料だけなら適用されない。
- EUの上限は缶入りシナモンではなく菓子など完成品の側にかかるため、缶に数値が無くても規制が無いという意味ではない。
この記事は「世界の単一スパイス完全図鑑|ISO命名で読む香辛料の地図」の各論です。
クマリンは香料規則の附属書IIIに名を持つ物質である
香気成分としてのクマリンとシナモンの関係
クマリンは芳香族化合物であり、シナモンなどの香気成分として知られている[2]。日本毒性学会の学術年会で報告された研究は、このクマリンをラットに単回、4日間、28日間にわたって強制経口投与し、肝臓への影響をミトコンドリア機能の観点から評価している[2]。この研究自体はクマリンの規制値を定めるものではないが、クマリンが単なる香りの成分ではなく、動物実験で肝障害を誘発する物質として扱われてきたことを示す資料として読める。シナモンの香りを担う成分が、同時に毒性学の研究対象にもなっているという二面性が、この後に見る規制の出発点になる。
附属書IIIという枠組みの中の位置づけ
EUの香料規則(EC)No.1334/2008は、香料や香味を持つ食品原料に含まれる特定の物質を、附属書IIIという条文群で管理している[1]。この附属書は単一の基準値の羅列ではなく、後述するパートAとパートBという異なる規制の仕方に分かれている点が特徴である[1]。クマリンはこの枠組みの対象物質の一つで、パートAの一覧には「1,2-Benzopyrone, coumarin」という名前で、アガリク酸・アロイン・カプサイシン・ヒペリシンなどと並んで記載されている[1]。香料規則という食品全体の横断的なルールの中で扱われている。個別のスパイス規格ではなく、香料規則という横断的な仕組みの中に置かれている点が、次章以降の話の前提になる。
附属書IIIの二段構え:パートAとパートB
パートA──食品にそのまま加えてはならない物質
香料規則第6条第1項は、附属書IIIのパートAに列挙された物質を、そのまま食品に添加してはならないと定めている[1]。ここでいう「そのまま加えない」という規定は、物質を単体で添加する行為そのものを禁じるものである。パートAは、香料や食品原料の中に自然に含まれる場合の扱いとは別の条文であり、添加物としての直接投入を止める規定として読める。
パートB──食品カテゴリごとの上限という発想
第6条第2項は、香料および香味を持つ食品原料に天然に存在する特定の物質について、附属書IIIのパートBに列挙された複合食品における最大含有量を定めるとしている[1]。この条文が指しているのは、物質を直接加える場面ではなく、香料や食品原料を経由して複合食品に入り込んだ結果としての含有量である。パートBの表は、物質ごとに「その物質の存在が制限される複合食品」と「最大含有量(mg/kg)」を並べる形になっており、クマリンには四つの食品カテゴリが挙げられている[1]。
| 複合食品のカテゴリ | 最大含有量 |
|---|---|
| 表示にシナモンへの言及がある伝統的または季節的なベーカリー製品 | 50 mg/kg[1] |
| ミューズリーを含む朝食用シリアル | 20 mg/kg[1] |
| 上記の伝統的または季節的なベーカリー製品を除く、精製ベーカリー製品 | 15 mg/kg[1] |
| デザート | 5 mg/kg[1] |
並びを見ると、シナモンを名乗る焼き菓子にいちばん高い枠が与えられ、デザートがいちばん低い。シナモンロールやクリスマスの菓子のように、シナモンの風味そのものが商品の特徴になっている食品には広い枠を認め、風味づけの度合いが小さいカテゴリほど枠を絞るという設計である[1]。
もう一点、この表には条件つきの適用除外が付いている。条文は、複合食品に香料が添加されておらず、かつ、添加された香味を持つ食品原料が生鮮・乾燥または冷凍のハーブ及び香辛料のみである場合には、これらの最大含有量は適用されないとしている[1]。二つの条件が同時に満たされる場合の除外であって、香辛料を使ってさえいれば上限がかからない、という意味ではない。
以下は、パートAとパートBの規定の違いを整理したものである。
| 区分 | 規定の内容 | 規制がかかる場面 |
|---|---|---|
| パートA | 食品にそのまま添加することを禁じる[1] | 物質そのものを直接加える行為 |
| パートB | 複合食品における最大含有量を定める[1] | 香料・食品原料を経由して天然に持ち込まれる場合 |
二段構えが分けているもの
この二段構えが分けているのは、物質の「危険性の高さ」ではなく、食品に入り込む経路の違いである。パートAは添加という行為そのものを止め、パートBは天然に持ち込まれる量に枠をかける。クマリンがどちらの発想の対象になるかを考えるうえで、次に見る「香料由来」と「食品原料由来」という二つの経路の区別が意味を持つ。
クマリンが規制対象になる理由:香料由来と食品原料由来の二つの経路
香料として添加される経路
香料規則の条文は英語で書かれており、対象を、香料や香りを持つ食品原料に天然に存在する分と定めている[1]。(訳は当方によるもので、原文の逐語ではない。)これは、香料製剤という形でクマリンが食品に加えられる経路を指す。シナモン由来の香りを再現した香料が使われる加工食品では、この経路を通じてクマリンが食品に入ることになる。
食品原料に天然に存在する経路
同じ条文はもう一つの経路として、「香味を持つ食品原料に天然に存在する」場合を挙げている[1]。シナモンそのものを原料として使う菓子や飲料は、香料を経由せず、原料に含まれる成分がそのまま食品に持ち込まれる例にあたる。この二つの経路は、次のように整理できる。
- 香料製剤として添加される経路(香料そのものに天然に含まれる場合)
- 食品原料として使われることで持ち込まれる経路(原料に天然に含まれる場合)
二つの経路が食品の中で重なる場面
シナモン風味の菓子には、香料として添加される経路と、原料としてシナモンそのものを使う経路の両方が同時に働く場合がある。条文がこの二経路を並記しているのは、規制の対象を「添加物としてのクマリン」に限定せず、原料由来の分まで含めて捉える必要があるからだと読める。この構造を踏まえると、クマリンの規制が香料表示だけを見ていては足りない理由が見えてくる。
上限が定めるのは「スパイスの上限」ではなく「食品への移行量」
シナモンパウダーの缶に上限値が書かれていない理由
パートBが定めるのは、複合食品というカテゴリにおける最大含有量であり、シナモンという原料そのものに対する上限ではない[1]。シナモンパウダーの缶や、香辛料としてのシナモンスティックには、この上限値は書かれていない。上限がかかるのは、シナモンを使って作られた菓子や飲料といった「複合食品」の側であり、原料の段階ではない。パートBの数値が「そのまま食べる状態の複合食品」に対する mg/kg で示されているのはそのためで[1]、家庭でシナモンパウダーを振る量から直接この数字を当てはめられる性質のものではない。家庭の料理は複合食品として流通するものではなく、規則が名指しでカテゴリを挙げた焼き菓子やシリアル、デザートの製造側に向けられた枠だからである。
購入したシナモンの缶に規制値が印字されていないのを見て、規制が存在しないと誤解しやすいが、実際には規制の視点が原料ではなく完成した食品の側に置かれているだけである。この整理は地味だが、輸入香辛料を家庭で使い切りたい読者にとっては誤解を防ぐ土台になる。
複合食品というカテゴリの考え方
複合食品というカテゴリでの規制は、同じ量のシナモンを使っても、それがどの食品に使われるかによって規制の枠組みが変わることを意味する。焼き菓子に使う場合と飲料に使う場合とで、参照した条文の範囲では個別の数値までは確認できないものの、カテゴリ単位で枠が分かれているという構造自体は条文から読める[1]。家庭でシナモンを使う場面は、この複合食品というカテゴリの一つに位置づけられていると考えると、規制の意図がつかみやすくなる。
上限規制の前提「測れること」とケイヒ分析の現在地
上限規制は定量法の存在を前提にする
食品カテゴリごとに上限値を定める仕組みは、その物質を実際に測定できることを前提にしている。上限が「〜を超えてはならない」という形で機能するには、対象の食品からその物質を取り出し、量として測る手続きが確立されていなければならない。この前提を踏まえたうえで、シナモンの原料であるケイヒ(桂皮、生薬としてのシナモンの樹皮)の分析がどこまで進んでいるかを見ておく必要がある。
ケイヒ末の指標成分研究が示す段階
生薬学雑誌に掲載された研究は、漢方薬として用いられるケイヒ(シナモンの樹皮)の粉末製剤について、指標成分および定量法の設定を検討したものである[3]。この製剤は、口の渇きや糖尿病への効能を持つ薬剤として承認され、市販薬として商品化できるようになった経緯を持つ[3]。承認を得るために、指標成分をどう選び、どう定量するかという方法論そのものを確立する段階にあることが、この論文のテーマである。
クマリンの定量法の話ではないという注意点
ここで注意したいのは、この研究がケイヒ末の指標成分を対象にしたものであり、クマリンの定量法を扱った研究ではないという点である。抄録の全文を確認しても「クマリン」という語は一度も出てこない。ケイヒという生薬の品質管理のために別の指標成分の定量法が検討されているという事実と、クマリンという特定物質の測定法が確立しているかどうかという問いは、隣り合ってはいるが別の話である。この論文を根拠にクマリンの分析体制を語ることは、隣接する物質の話を目当ての物質の話として扱う過剰な結びつけになる。上限規制が「測れること」を前提にするという原則自体は成り立つとしても、クマリンの定量法がどこまで確立しているかを、この論文の記述だけから断定することはできない。
結論:日本の規定と家庭での確認ポイント
日本に同等の規定はあるか
日本にEUの附属書IIIに相当するクマリンの上限規定があるかどうかは、本記事で参照した参考資料の中には見当たらない。参照したのはEUの香料規則の条文、ラットを用いた毒性学の研究、そしてケイヒ末の指標成分に関する生薬学の研究であり、いずれも日本の食品規制としてのクマリン上限を定めた資料ではない。この点は、日本に規定が無いことを意味するのではなく、本記事の参考資料の範囲では確認できないという限定として理解してほしい。
家庭で確認できること
家庭でシナモンを扱う際に確認しやすいのは、規制の数値そのものよりも、原料としてどの部位・どの製品を使っているかという情報である。次のような点は、少なくとも購入時のラベルや商品説明から確認できる。
- 原材料表示にシナモンの種類(セイロン、カシアなど)が明記されているか
- 香料として添加されたものか、シナモンそのものを原料として使ったものかが分かるか
- 日常的に大量・高頻度で使う予定があるかどうか
これらは規制の数値を直接確認する手段ではないが、原料の経路を意識する手がかりにはなる。
品種による違いは別の論点
セイロンシナモンとカシアという品種の違いそのものは、本記事が扱う規制の枠組みとは別の論点であり、ここでは踏み込まない。品種の違いを踏まえたうえで、規制がどの経路・どのカテゴリにかかるのかを整理して読むことが、輸入食材としてのシナモンを家庭で使い切るうえでの土台になる。本記事の参考資料の範囲では、上限規制の構造自体は条文から追えるが、クマリンの測定体制がどこまで整っているかは確認できていない。シナモンの缶を手に取ったら、上限値の有無より、原材料表示が何を示しているかを読んでほしい。
関連記事
参考文献
- Regulation (EC) No 1334/2008 on flavourings — Annex III(EUR-Lex・Wayback保存版)
https://web.archive.org/web/20251013070941/https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/?uri=CELEX:32008R1334 - ラットにおけるクマリン誘発性の急性および慢性肝障害の特徴(日本毒性学会学術年会)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/toxpt/41.1/0/41.1_P-53/_article/-char/ja - ケイヒ末単味製剤における指標成分及び定量法の設定に関する検討(生薬学雑誌)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jspharm/72/1/72_28/_article/-char/ja
