マスタード(moutarde)という語がフランス語の文献に現れるのは13世紀初めで、ラテン語の sinapis に取って代わった[1]。1354年にはブルゴーニュから国王へマスタードが届けられ、17世紀にはディジョンの職人の同業組合が規約で原料と製法の質を定めた[1]。1756年に工房を開いたディジョンのジャン・ナイジョンは、酢の代わりにヴェルジュ(未熟ブドウの酸味液)を初めて使い、マスタードの刷新者とされる[1]。家庭で輸入マスタードを選ぶ際、ラベルに「Moutarde de Dijon」とあっても、1937年の政令で一般名称となった名前であり、原産地呼称保護(AOP)のように産地を保証するものではない点を理解すれば、価格帯と用途に応じた選択がしやすくなる[1]。
- マスタードは古代から食べられ、ブドウの産地ブルゴーニュで発達したとみられ、1354年には国王へ4樽が送られた記録がある。
- 1756年に工房を開いたディジョンのナイジョンは、酢の代わりにヴェルジュ(未熟ブドウの酸味液)を初めて使い、刷新者とされる。
- 「ディジョン・マスタード」は1937年の政令で製法を表す一般名称となり、ラベルの名前だけでは製造地が分からない。
この記事は「マスタード完全ガイド|ディジョン・粒・イエローの体系」(「世界のテーブルソース図鑑|卓上の1本を体系で読む」の一部)の各論です。
古代から中世へ|sinapis から moutarde へ
マスタードは古代から食べられてきた調味料である[3]。INAO(フランス国立原産地・品質研究所)に提出された「Moutarde de Bourgogne」の地理的表示の申請書は、フランス語の moutarde という語が13世紀初めの文献に現れ、ラテン語の sinapis に取って代わったと記す[1]。同じ資料は、ローマ人が芥子の種を酢だけと合わせていたのに対し、やがて新しいワイン(moût)が酢の代わりに使われるようになったのではないかと推測し、マスタードはまずブドウの産地、とりわけブルゴーニュで発達したとみている[1]。
中世フランス・ディジョンの座を築いた公国
ブルゴーニュの人々は、フランスの王や王妃にマスタードをたびたび贈っていた[1]。1354年には、ブルゴーニュの収税総官がマスタード用の芥子の種と酢を買い入れ、できたマスタード4樽を国王ジャンと王妃ジャンヌ・ド・ブーローニュに送った記録がある[1]。こうして公国のマスタード職人は、王家にこの調味料を納める立場になった[1]。
17世紀には、ディジョン(1634年)やボーヌ(1647年)で、マスタード職人の同業組合を定める規約が作られた[1]。規約には原料の質や製法に関する条項が数多く含まれ、品質の悪い製品には罰金が定められていた[1]。組合は「酢・マスタード職人」の組合として、ブドウ栽培者の守護聖人である聖ヴァンサンを守護者に掲げており、ブドウ畑との結び付きの強さがうかがえる[1]。
| 時期 | 出来事 | 影響 |
|---|---|---|
| 1354年 | ブルゴーニュから国王ジャンと王妃へマスタード4樽を送る[1] | 公国の職人が王家への納入者に |
| 1634年 | ディジョンでマスタード職人の同業組合の規約[1] | 原料の質と製法を条項で定める |
| 1647年 | ボーヌでも同業組合の規約[1] | 品質の悪い製品に罰金 |
1756年ヴェルジュ革命|ナイジョンの刷新
ジャン・ナイジョン(Jean Naigeon)は、1703年に酢職人の親方となったフランソワ・ナイジョンの息子で後継者であり、1756年に自らの工房を開いた[1]。それまでのマスタードは芥子の種を酢と合わせたものだったが、ナイジョンは初めて酢の代わりにヴェルジュ(verjus)を使い、マスタードの刷新者とみなされている[1]。ナイジョンのマスタードはほどなく同業者にまねされ、揺るがない評判を得た[1]。
ヴェルジュは、十分に熟していない白ブドウを搾って得る、ごく若いワインのような酸味液で、コート・ドールの各地で豊富に作られていた[1]。ヴェルジュを使うことで、ブルゴーニュのマスタードは土地と結び付いた特徴を持つようになった[1]。
一方、つくり方そのものはしばらく変わらなかった。19世紀までマスタードづくりは小さな工房の仕事で、職人は製粉用に似た小さな石臼を長い棒で手回しして種を挽き、馬の毛の篩で種皮を取り除いていた。職人1人が1日に作る量は17〜18kgだった[1]。産業革命はマスタードにも及び、1850年にはディジョンの製造業者グレイ(Grey)が、種を挽く・練る・漉すを一度に行い、生産性を大きく高める機械を作った[1]。
グレイ・プポンとマイユ|近代ブランドの誕生
マイユ(Maille)の公式の沿革によると、1747年にアントワーヌ=クロード・マイユがパリのサンタンドレ・デ・ザール通りに最初の店を開き、香りを付けたマスタードを売り出して、ルイ15世の宮廷の御用達となった[2]。1804年に彼が亡くなったとき、跡継ぎは20種類のマスタードと50種類の酢を受け継いだ[2]。マイユがディジョンに店を開いたのは1845年である[2]。
一方、グレイ・プポン(Grey Poupon)の名のもとになったディジョンの製造業者グレイは、各地の品評会で賞を重ね、ディジョン(1843年)、パリ(1849年)、ロンドン(1855年)で受賞し、1860年には皇帝の御用達となった[1]。工業化が進むにつれ、マスタードの製造業者の数は減っていった[1]。
| ブランド | 年 | 出来事 |
|---|---|---|
| マイユ | 1747年 | パリに最初の店。ルイ15世の宮廷の御用達に[2] |
| マイユ | 1845年 | ディジョンに店を開く[2] |
| グレイ | 1850年 | 挽く・練る・漉すを一度に行う機械[1] |
| グレイ | 1860年 | 皇帝の御用達に[1] |
「ディジョン・マスタード」という名前の扱いは、20世紀に定まった。1937年の政令がこれを一般名称とし、この名は2000年7月6日の政令第2000-568号で改めて定義されている[1]。そのため多くの国で、ブルゴーニュの州都とは関係なくディジョン・マスタードが作られている[1]。フランス農業省も、ディジョン・マスタードの製法は1937年の政令で守られていると説明している[3]。
結論
マスタードの歴史は、ブドウ畑と結び付いた地方の手仕事が、同業組合の規約、ヴェルジュによる刷新、機械化を経て、世界中で作られる名前へと広がった過程を示す。ディジョンの名は製法を表す一般名称になり、産地との結び付きは別の制度で守られるようになった。
第二次世界大戦後、ブルゴーニュではマスタードの栽培が次第に姿を消し、ディジョンの食品産業はカナダから輸入した種でマスタードを作り続けた[3]。ディジョン・マスタードは一般名称なので、ラベルの名前だけでは製造地を判別できない[1]。家庭で輸入マスタードを選ぶ際は、裏面の原材料表示で種子の産地と酸味液の種類を確認し、用途(サンドイッチ用の穏やかな風味か、ソースのベースとなる強い辛味か)に応じて選ぶ視点が有効である。
産地を保証する表示としては、2009年11月に地理的表示保護(IGP)を得た「Moutarde de Bourgogne」がある[3]。この表示は、芥子の種と白ワインの生産、そしてその加工がブルゴーニュで行われることを保証する[3]。名前が製法を表すのか産地を表すのかを見分けることが、ラベルの背後にある製法と流通の仕組みを読み解く手がかりとなる。
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参考文献
- Association Moutarde de Bourgogne「Moutarde de Bourgogne」IGP 登録申請書(INAO 提出・2008年6月版・PDF)
https://extranet.inao.gouv.fr/fichier/CDCMoutardeDeBourgogne.pdf - Maille「Our Story」(公式サイト)
https://uk.maille.com/pages/our-story - フランス農業省「La moutarde, le produit phare de la Bourgogne」
https://agriculture.gouv.fr/la-moutarde-le-produit-phare-de-la-bourgogne
