みりんの歴史と製法|「飲むみりん」から料理の照りへ

みりんの歴史と製法|「飲むみりん」から料理の照りへ

みりんは戦国時代末期から江戸時代初期に「甘い酒」として文献に現れ、公家・武家・寺院の贈答品として飲まれた[1]。もち米・米麹・焼酎を糖化熟成させる製法は、当初は高級な嗜好品を生むための技術だった[1]。料理への転用が記録されるのは江戸後期で、関東で蒲焼のたれや蕎麦つゆに使われた様子が『守貞漫稿』に残る[1]。ただし家庭の調味料として一般化したのは戦後、1962年(昭和37年)の酒税大幅引下げ以降のことである[1]。現在も酒税法上のみりんは「酒類」であり、調味料になったのは税制上の区分変更ではなく用途の変化だった[2]

目次

みりんの起源説(戦国〜江戸・甘い酒として)

戦国末期の「甘い酒」登場

みりんの起源には複数の説があるが、文献上の記録は16世紀後半から17世紀初頭に集中する[1]。茶会の記録『宗湛日記』(1586〜1592年)には黒田如水から博多の豪商・神谷宗湛にあてた手紙として「密林酒」が、1593年(文禄2年)の『駒井日記』には「蜜淋酎」が現れる。現在も使う「味醂」の字が初めて確認できるのは、1614年(慶長19年)の『鹿苑日録』である[1]

起源については、中国明代の「蜜林」が琉球・九州経由で伝わったとする中国伝来説と、練酒・白酒など日本の甘い酒から発展したとする日本発生説がある[3]。山下(1991)は、江戸時代を通じて練酒・白酒には焼酎ではなく酒が用いられていた点から日本発生説には無理があるとし、明代の「もろみ途中で焼酎を加えて糖分を多く残す技法」が伝来し、日本でもろみの最初から焼酎を加える方式に変化したと考えるのが妥当とする[3]。この変化により、中国の蜜酒・封缸酒の糖濃度20〜30%に対し、本みりんでは糖濃度40%以上が可能になった[1]

初期のみりんは高価で、公家・武家・寺院など上層階級のあいだで贈答品として用いられ、飲用された[1]。砂糖が希少品だった時代、自然な甘みを持つ酒は貴重だった。江戸期には「美醂酒」「蜜醂酒」「蜜琳酒」など表記が揺れており、酒類としての扱いは一貫していた[1]

製法の確立と地域的広がり

江戸時代の製法は古書に具体的に残っている。1697年(元禄10年)の『本朝食鑑』は、もち米を一晩浸して蒸し、冷ました飯に麹と焼酎を加え、7日ごとに撹拌して37日で仕上げると記す[1]。1713年(正徳3年)の『和漢三才図会』もほぼ同じ工程を伝え、1799年(寛政11年)の『日本山海名産図会』では焼酎10石にもち白米9石2斗・米麹2石8斗という配合と、春なら25日程度という期間が示されている[1]。現在の本みりん製造に通じる原料(もち米・米麹・焼酎)と醸造法の基本は、この時点で出揃っていた[1]

ただし当時の品質は現在とかなり違う。現代の製造科学から復元すると、『本朝食鑑』のみりんは糖分わずか1%程度で「かすかに甘い焼酎」に近く、『日本山海名産図会』のもので糖分約30%と推定される[1]。糖分43〜47%の現在の本みりんと比べれば明らかに薄く、焼酎寄りの飲み物だったことになる[1]。また初期は麹にももち米を使っていたが、のちにうるち米へ切り替わり品質が向上したとされる[1]

産地としては、愛知県三河地方と千葉県流山市が代表格である。三河については、隣接する知多半島が江戸期に伊丹・灘・池田に次ぐ日本酒の名醸地であり、そこで出た酒粕を三河へ運んで粕取り焼酎を造り、その焼酎でみりんを醸したという経緯がある[1]。流山では安永年間(1772〜81年)に醸造が始まり、2代目堀切紋次郎が1814年(文化11年)にみりんの発売を開始した[6]。江戸川の開削による舟運で江戸という大消費地と直結していたことが、流山産みりんの普及を支えた[6]。色の淡さから「白みりん」と呼ばれ、萬上みりん・天晴みりんは明治6年のウィーン万国博覧会で受賞、萬上みりんは明治10年に宮内省御用達となっている[6]

本直し(柳蔭)と飲用みりんの文化

「本直し」とは何か

本直しは、本みりんに焼酎またはアルコールを加えた酒類で、別名を「柳蔭(やなぎかげ)」という。柳の木陰で涼みながら冷やして飲む夏の酒として知られてきた。成分としてはアルコール22〜23%・糖分10〜12%程度で、甘口のアルコール飲料にあたる[1]

酒税法上、かつてはエキス分16度以上の「本みりん」と、それ以外の「本直し」が別品目として分類されていたが、1988年(昭和63年)の酒税法改正で区分が撤廃され、現在はどちらも「みりん」として定義されている[1]

なお本直しがもっとも多く生産・消費されたのは江戸期ではなく、第二次世界大戦後である[1]。物資不足のなかで甘い酒として需要が集中したが、昭和30年代に食糧事情が改善し、日本酒・ビール・ウイスキーが手頃な価格で出回るようになると消費量は急速に低下した[1]。その後1974年(昭和49年)に清酒粕の使用が認められ、日本酒の香味を付与できるようになったことで、加工食品用調味料としての需要が持ち直している[4]

飲用から調味用への移行

料理への転用が文献に現れるのは江戸後期である。1837〜1867年(天保8年〜慶応2年)の諸国の風俗を記した『守貞漫稿』には、関東でウナギの蒲焼や蕎麦つゆにみりんが使われたとの記述があり、こうした用途の変化がみりんの製法や品質にも影響を与えたと考えられている[1]

ただし、この時点で調味料化が完了したわけではない。明治以降も本みりんは高価で、家庭料理にはほとんど使われていなかった[1]。飲用から調味用への重心の移動が完了するのは、後述するとおり戦後の税制変更を待つことになる。

製法の変遷(もち米・米麹・本格焼酎の糖化熟成)

伝統的な本みりんの製法

本みりんの原料構成は江戸時代から基本的に変わっていない[1]。主原料は蒸したもち米、米麹、焼酎またはアルコールの3つである。もち米を使う理由は、うるち米に比べてデンプン質が多く、糖化によって高い甘みが得られるためだ。米麹には現在うるち米が用いられ、麹菌は黄麹菌である。みりん用の黄麹菌には、デンプン利用率を高めるアミラーゼ力、旨味成分となるアミノ酸・ペプチドを生むプロテアーゼ力、みりんらしい糖組成をつくるトランスグルコシダーゼ力の強さ、そして麹の褐変性の低さが求められる。これらを単一の菌で満たすのは難しく、現在は数種類の麹菌を混合して対応している[1]

日本酒と決定的に違うのは、もろみの中でアルコール発酵が起きない点である。アルコールはすべて原料の焼酎・アルコール由来で、麹の酵素は糖化とタンパク質分解だけを担う[1]。製造工程は以下の通りである。

工程内容[1]期間[1]
原料処理もち米を洗米・浸漬・蒸きょうする(加圧式連続蒸米機で15〜30分)[1]1〜2日
製麹うるち米に黄麹菌を繁殖させる(在室時間48〜55時間)[1]2〜3日
仕込み蒸しもち米・米麹・焼酎を混合し、タンクに仕込む1日
糖化・熟成20〜30℃でデンプンとタンパク質が分解され、香味成分が生成される[1]30〜60日
圧搾固形分(みりん粕)を圧搾して液体を分離する数日

この糖化・熟成の過程では、アルコール存在下で麹の酵素群が蒸しもち米に作用するだけでなく、生成した成分同士が反応・変化し、本みりん特有の調和のとれた香味が生まれる[1][5]。もろみ期間は『本朝食鑑』『和漢三才図会』が37日、『日本山海名産図会』が25日と記しており、現在のほうがむしろ長い。仕込み配合の変化が影響していると考えられている[1]

近代化と「みりん風調味料」の登場

20世紀初め頃から連続式蒸留焼酎が生産されるようになり、江戸時代の単式蒸留焼酎に代わって、現在は大部分の本みりんに連続式蒸留焼酎またはアルコールが使われている[1]。江戸時代と比べると、仕込み配合における焼酎歩合と麹歩合は顕著に減少した[1]。また戦後まもなく醸造用糖類の使用が認められ、総生産量の8割近くの製品で使用されていると推定されている[1]

家庭への普及を決定づけたのは税制である。本みりんの酒税は1962年(昭和37年)に1キロリットルあたり14万円から6万7700円へ大幅に引き下げられ、高度経済成長による生活水準の向上とあいまって、昭和40年以降に調味料として家庭に定着した[1]

酒税法上のみりんは、米・米麹に焼酎またはアルコールを加えてこしたもので、アルコール分15度未満・エキス分40度以上などの要件を満たす酒類と定義される[2]。現在の本みりんは糖分45%前後、アルコール分14%程度を含む[1]

本みりんに似た調味料としては、次の2つが流通している[1]

  • みりん風調味料: アルコール分1%未満[1]。水あめ・米麹・うま味調味料などをブレンドして製造する。酒類ではないため酒類販売免許のない店舗でも扱え、スーパーの普及とともに家庭に広まった。
  • 発酵調味料(みりんタイプ): アルコール発酵と糖化・熟成の両工程を持ち、食塩を加えて不可飲処置をしたもの。本みりんに1.5%以上の塩を加えたような成分の製品が多い[1]

いずれも酒税法上の酒類には該当しない[1]。塩を含む発酵調味料は、レシピどおりの塩分設計が崩れる点に注意が必要である。

調味料としての定着(蕎麦つゆ・蒲焼のたれ)

江戸料理における役割

みりんの料理利用が記録に現れるのは江戸時代後期で、『守貞漫稿』が関東での蒲焼・蕎麦つゆへの使用を伝えている[1]。この2つは、みりんの特性を最大限に活かした代表的な用途だった。蕎麦つゆにみりんを加えると、醤油の塩辛さが和らぎ、まろやかな甘みと照りが加わる。みりんの調理機能は、糖分・アルコール・アミノ酸などの複合作用として整理されている[5]

蒲焼のたれは醤油・みりん・砂糖を基本とするが、みりんの役割は単なる甘味料にとどまらない。加熱するとアルコールが飛び、糖分が濃縮されて表面に照りが生まれる。この光沢と粘度は砂糖だけでは再現しにくく、蒲焼の見た目を決定づける[5]。江戸の鰻屋がみりんを重用したのは、こうした効果を経験的に知っていたためだろう。

煮物・照り焼きへの応用

用途が家庭に広がったのは戦後である。煮物にみりんを加えると煮崩れを防ぐ効果があり、照り焼きや田楽など表面に照りを出したい料理にも使われるようになった[5]。ただし前述のとおり、明治から戦前にかけて本みりんは高価で、家庭料理にはほとんど使われていなかった[1]。1962年の酒税引下げ以降にようやく手が届く価格帯となり、昭和40年代を通じて基本調味料の座を得た[1]

その後、家庭料理の洋風化が進んでも和食の基本調味料としてのみりんの地位は揺るがなかった。料理番組や料理本で「さしすせそ」(砂糖・塩・酢・醤油・味噌)に次ぐ「隠し味」として紹介され、照り焼きチキンやすき焼きなど和洋折衷の料理にも広く使われている。

海外での認知と利用

21世紀に入り、日本食の世界的なブームとともに、みりんも海外で知られるようになった。寿司・照り焼き・ラーメンなどの人気に伴い、欧米やアジアの日本食レストランでみりんが使われるようになった。ただし、海外では本みりんの入手が難しく、砂糖と日本酒を混ぜた代用品が使われることも多い。

一部の食材店や通販サイトでは日本から輸入した本みりんが扱われているが、酒類に該当するため国や州によって販売免許の要否が異なり、入手性は一様ではない。海外の料理愛好家の間では「テリヤキソースの材料」としてみりんが認識されており、レシピサイトでも頻繁に取り上げられている。

結論

みりんは、16世紀末に「甘い酒」として記録に現れてから約400年をかけて、飲用から調味用へと性格を変えてきた[1][3]。江戸後期に蕎麦つゆや蒲焼のたれへの応用が始まり、家庭に定着したのは1962年の酒税引下げ以降と、意外に新しい[1]。一方で、もち米・米麹・焼酎という原料構成と、アルコール発酵を伴わず糖化・熟成だけで仕上げる方式は、江戸時代の古書に記された基本形をそのまま受け継いでいる[1]

家庭で本みりんを選ぶ際は、原材料表示を確認したい。もち米・米麹・焼酎(または醸造アルコール)で構成された製品は、アルコール分1%未満でブレンド製造される「みりん風調味料」や、食塩を含む「発酵調味料(みりんタイプ)」とは、照り・香味・塩分設計のいずれもが異なる[1]。煮物や照り焼きで仕上がりの違いを確かめてみると、飲み物として生まれた酒が調味料になった意味がわかりやすい。

参考文献

  1. 国税庁『日本の伝統的なこうじ菌を使ったもの造り』Ⅱ-4 本みりんの歴史
    https://www.nta.go.jp/taxes/sake/koujikin/pdf/0021012-102_05.pdf
  2. 国税庁「酒税法における酒類の分類及び定義」(酒税法第3条第7号〜第23号)
    https://www.nta.go.jp/taxes/sake/qa/01/01.pdf
  3. 山下勝「みりんの発生」日本醸造協会誌 86巻10号 768-772(1991)
    https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1988.86.768
  4. 山下勝「みりん、味淋、蜜醂(Ⅱ)」日本醸造協会誌 87巻11号 792-800(1992)
    https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1988.87.792
  5. 髙倉裕「酒類調味料『本みりん』の製造方法と調理機能」生物工学会誌 100巻2号 81-84(2022)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/seibutsukogaku/100/2/100_100.2_81/_article/-char/ja
  6. 流山市「常設展示(5 白みりん発祥の地)」
    https://www.city.nagareyama.chiba.jp/life/1001780/1001785/1001824/1001829.html

この記事を書いた人

世界の調味料を、現地の一次資料から読み解く編集部です。数字と固有名詞は本国の公的機関や規格で裏を取り、家庭で「あの国の味」を再現したい人に役立つ形にまとめます。

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