ザータル図鑑|中東の朝食を支えるハーブブレンドの地域差

ザータル図鑑|中東の朝食を支えるハーブブレンドの地域差

ザータルは、タイム近縁のハーブと炒りごま、スーマック(赤い酸味のある実)、塩を混ぜた中東の伝統ブレンドスパイスである。レバノン・パレスチナ・ヨルダン・シリアの各地域でハーブの種類と配合比が異なり、家庭や工房ごとに独自のレシピが受け継がれてきた。朝食時にオリーブオイルと混ぜてパンに塗る食べ方が最も一般的で、現地では「記憶力を高める」という言い伝えから試験前の学生が好んで食べる習慣もある。輸入食材店で見かける茶色がかった粉末状の小袋は、このハーブブレンドを指している。

ザータル:中東の朝食ブレンド ザータルがハーブ・ごま・スーマックと塩を合わせたブレンドで、同名のハーブ(オレガノ類)も指し、レバノン・パレスチナなど地域で配合が異なること、現地の食べ方を示した図。 ザータル:中東の朝食ブレンド ハーブ×ごま×スーマックの塩ブレンド。「ザータル」はハーブの名前でもある。 基本の構成 ・乾燥ハーブ(タイム・オレガノ類) ・スーマック(赤くて酸味のある実) ・炒りごま・塩 ハーブの香り+酸味+香ばしさが一体に 「ザータル」はハーブ名でもある 中東で「ザータル」は、オレガノに近い 野生ハーブそのものも指す。 「ハーブのザータル」と「ブレンドの ザータル」が同じ名で呼ばれる。 地域差と現地の食べ方 レバノン・パレスチナ・ヨルダン・シリアで配合が異なり、ごまやスーマックの比率に個性が出る。 現地の定番はオリーブオイルと混ぜてパンにつける食べ方。朝食に欠かせない。 ▶ 平たいパン「マナイーシュ」に塗って焼くのも定番。 出典: Origanum syriacum レビュー(Plants 2021)/カルバクロールの薬理レビュー/採取規制の学術出典 図解:ajimuse.com
目次

ザータルとは(ハーブ+ごま+スーマックの塩ブレンド)

ザータルは中東全域で使われる調味料の総称であり、単一の植物や単一の配合を指す言葉ではない。基本構成は乾燥ハーブ、炒った白ごま、粉末スーマック、塩の4要素だが、ハーブの種類と各材料の比率は地域・家庭・製造者によって大きく異なる。

4つの基本材料とその役割

ザータルを構成する材料は次の通りである。

材料役割備考
乾燥ハーブ香りの主体オレガノ類、タイム類、マジョラムなど地域で異なる
炒り白ごま香ばしさと食感油分がハーブの香りを保持する
スーマック粉末酸味と赤みがかった色ウルシ科の実を乾燥・粉砕したもの
味の基盤海塩または岩塩

公式な配合規格としては、レバノンなどの混合ザータル基準が広葉ザータル(ハーブ)の最低含有率(プレミアムで25%以上、レギュラーで15%以上)と塩の上限(6〜7%)を定める程度で[1]、ハーブ・ごま・スーマックの具体的な比率は家庭・製造者ごとに大きく異なり、統一された配合規格は存在しない。

スーマックの酸味が生む独特の風味

スーマックはウルシ科の低木の実を乾燥させて粉末にしたもので、レモンに似た酸味と渋みを持つ。中東料理では単独でも肉料理やサラダに振りかける調味料として使われるが、ザータルに加えることで塩味とハーブの香りに酸味の層を重ねる役割を果たす。

スーマックの赤紫色はザータル全体の色調にも影響し、ハーブの緑がかった茶色に赤みを加える。この色の濃さでスーマックの配合比をある程度推測できる。酸味が強いほどスーマック比率が高く、ハーブの香りが前面に出るほどスーマック比率は低い。

商業製品と家庭製ザータルの違い

市販のザータル製品は保存性と輸送コストを考慮して、ごまの比率を高めハーブを減らす傾向がある。ごまは油分が多く酸化しやすいが、炒ることで保存性が向上し、重量当たりの単価もハーブより安い。一方、家庭で作るザータルはハーブを多めにし、塩を控えめにする傾向がある。

輸入食材店で入手できる製品の多くはレバノンまたはヨルダン産で、ハーブの種類が英語表記では「wild thyme」や「oregano」と曖昧に記載されている。これは次項で述べる「ザータル」という名のハーブ自体の分類が複雑であることに起因する。

「ザータル」はハーブ名でもある(オレガノ類の現地事情)

「ザータル」はアラビア語で特定のハーブ植物を指す名でもあり、この点が混乱を生む。植物学的には複数の近縁種が「ザータル」と呼ばれ、地域ごとに異なる種が使われてきた。

複数の植物が「ザータル」と呼ばれる

中東で「ザータル」と呼ばれる主なハーブは以下の通りで、いずれもシソ科の近縁種である[1]

項目内容
Origanum syriacum(シリアン・オレガノ)レバント地域で最も一般的。聖書に登場する「ヒソプ」の候補の一つとされる
Thymbra spicata(スパイクド・タイム)トルコ南部からシリア北部に分布
Satureja thymbra(ザータル・サマー・セイボリー)ギリシャからレバノンにかけて自生
Thymus capitatus(コーンヘッド・タイム)地中海東岸の沿岸部に多い

これらはすべてシソ科の多年草で、外見も香りも似ているが、学名上は別種である。現地では植物学的な厳密さよりも「ザータルの香りがするハーブ」という実用的な分類が優先され、複数種が混在して使われることも多い。

野生採取と栽培の境界

伝統的にザータル用ハーブは野生株を採取してきたが、乱獲を背景に、イスラエルおよびヨルダン川西岸ではシリアン・オレガノ(Origanum syriacum)が保護種に指定されて採取が規制され、ヨルダンでも絶滅危惧種のレッドリストに挙げられている[3]。このため商業製品の多くは栽培されたオレガノやタイムを使用する。

栽培ハーブは香りが野生株より弱いとされ、製品によっては複数種のハーブを混合して香りを補強する。輸出向け製品では入手しやすい地中海産オレガノ(Origanum vulgare)を主体にし、「ザータル風味」として販売するケースもある。

「ザータル」表記の曖昧さが生む誤解

英語圏の料理サイトでは「za’atar」を「middle eastern oregano」や「wild thyme」と訳すことが多いが、これは正確ではない。オレガノとタイムは別属であり、ザータルと呼ばれる植物群はその中間的な性質を持つ。

この曖昧さは輸入製品のラベルにも反映され、原材料欄に「oregano」とだけ書かれた製品が実際にはシリアン・オレガノを使っている場合もあれば、逆に一般的なオレガノで代用している場合もある。香りの違いを確認するには実際に開封して嗅ぐしかない。

地域差(レバノン・パレスチナ・ヨルダン・シリアの配合)

ザータルの配合は国ごと、さらには村ごとに異なる。以下は代表的な地域スタイルの特徴である。

レバノン式ザータル

レバノンのザータルはスーマックの比率が高く、酸味が強い。ハーブはシリアン・オレガノを主体とし、塩は控えめである。色は赤みが強く、テクスチャーはやや粗い。

ベイルート周辺では朝食のマヌーシェ(平焼きパン)にザータルとオリーブオイルを塗って焼く食べ方が定番で、街角のベーカリーでは朝6時から行列ができる。この用途に合わせてレバノン式ザータルは油との馴染みを重視し、ごまの比率を高めに保つ。

パレスチナ式ザータル

パレスチナのザータルはハーブの比率が最も高く、スーマックは控えめである。ヨルダン川西岸地区では各家庭が独自の配合を持ち、夏の終わりに野生ハーブを摘んで乾燥させる習慣が残る地域もある。

パレスチナ式は塩分が低く、ハーブの香りがストレートに立つ。そのまま食べるというより、オリーブオイルに溶いてディップ状にする食べ方が多い。

ヨルダン式ザータル

ヨルダンのザータルはごまの比率が高い傾向がある。ハーブはシリアン・オレガノとスパイクド・タイムの混合が多い。食感が重視され、ごまは粗挽きにせず粒のまま残す。

ヨルダン南部ではザータルにオリーブオイルを混ぜたものを羊肉のグリルに添え、肉汁と一緒にパンで拭い取る食べ方がある。この用途ではごまの香ばしさが肉の脂と調和する。

シリア式ザータル

シリアのザータルは地域によって変動が大きいが、北部アレッポ周辺ではピスタチオやクミンを加える独自の配合がある。南部ダマスカス周辺はレバノン式に近く、スーマック比率が高い。

内戦以前はシリア産ザータルが中東全域に輸出されていたが、現在は生産量が激減し、市場ではレバノン産とヨルダン産が主流である。

配合比較表

地域配合の傾向特徴
レバノンスーマック多め・塩控えめ酸味が強く赤みがかる
パレスチナハーブ多め・スーマック控えめハーブの香り重視
ヨルダンごま多めごまの食感と香ばしさ
シリア地域差大・ナッツ類を加えることもダマスカス周辺はレバノン式に近い

現地の食べ方(オリーブオイル+パンが基本)

ザータルは単独で使うことは少なく、オリーブオイルと組み合わせる食べ方が圧倒的に多い。

マヌーシェ(ザータル風味の平焼きパン)

レバント地域の朝食の定番は、マヌーシェと呼ばれるピザ状の平焼きパンである。生地にオリーブオイルとザータルを塗り広げてから焼く。焼き立てを四つ折りにして手で持ち、紅茶と一緒に食べる。

ベーカリーでは生地1枚あたりザータル大さじ2杯、オリーブオイル大さじ1杯程度を使う。家庭で作る場合はピタパンやナンの生地で代用できる。

ラバン・ビ・ザータル(ヨーグルトチーズのザータル和え)

水切りヨーグルト(ラバン)を球状に丸め、ザータルをまぶしてオリーブオイルに漬ける保存食がある。ヨルダンとパレスチナで一般的で、朝食やメゼ(前菜)として供される。

ザータルの塩分がチーズの保存性を高め、ハーブの香りが乳製品の臭みを消す。オイル漬けにすることで数週間保存できる。

サラダやグリル肉への振りかけ

トマトときゅうりのサラダにザータルとレモン汁、オリーブオイルをかける食べ方は、夏の軽食として定番である。また、鶏肉や羊肉をグリルする際に、仕上げにザータルを振りかけることもある。

この場合はスーマックの酸味がレモンの代わりとなり、ハーブの香りが肉の臭みを抑える。ザータルに含まれる塩分だけでは足りないため、肉には事前に塩を振っておく必要がある。

オリーブオイル・ディップ

小皿にオリーブオイルを注ぎ、ザータルを山盛りに盛って混ぜ、パンを浸して食べる。レストランではパンが運ばれる際にこのディップが添えられることが多い。

ディップ用には粗挽きのザータルが向いており、ごまの粒が残っているほうが食感が良い。オイルとザータルの比率は1対1程度が目安だが、好みで調整する。

「試験に効く」という言い伝え

中東では「ザータルは記憶力を高める」という言い伝えがあり、学生が試験前にザータル入りのパンを食べる習慣がある。科学的な裏付けは確立していないが、ザータル用ハーブの主成分カルバクロールについては、動物実験で記憶・認知の改善作用が報告されている(ヒトやザータル現物での効果を示すものではない)[2]

この言い伝えは親から子へ受け継がれ、現在でも試験シーズンにはザータルの売り上げが増えるという報告がある。文化的な信念が食習慣を形成する一例である。

結論

ザータルは単一の製品ではなく、地域・家庭・製造者ごとに異なる配合を持つハーブブレンドの総称である。ハーブの種類と比率、スーマックとごまのバランスが地域ごとに異なり、その違いが現地の食文化と結びついている。輸入食材店で入手できる製品は主にレバノン産とヨルダン産だが、ラベル表記だけでは実際の配合を判断しにくい。

家庭で使う場合は、まず小瓶を購入してオリーブオイルと混ぜ、パンに塗って焼く基本の食べ方を試すとよい。ハーブの香りとごまの香ばしさ、スーマックの酸味が調和した風味は、一度覚えると中東料理の理解が一段深まる。乾燥ハーブ、炒りごま、スーマック、塩を個別に揃えれば自作も可能で、配合を調整しながら好みの味を探る楽しみもある。

参考文献

  1. Abu Alwafa R. 他「Origanum syriacum L. (Za’atar), from Raw to Go: A Review」Plants 2021;10(5):1001(種同定・規格上の配合最低含有率・食べ方)
    https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8156404/
  2. Azizi Z. 他「Neuroprotective effects of carvacrol…」Avicenna J Phytomedicine 2022(カルバクロールの記憶・認知作用/動物モデル)
    https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9121261/
  3. Boyd「A Political Ecology of Za’atar」Environment & Society Portal 2016(Origanum syriacum の保護種指定・採取規制)
    https://www.envirosociety.org/2016/06/a-political-ecology-of-zaatar/

この記事を書いた人

世界の調味料を、現地の一次資料から読み解く編集部です。数字と固有名詞は本国の公的機関や規格で裏を取り、家庭で「あの国の味」を再現したい人に役立つ形にまとめます。

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