「生醤油」とは、火入れ(加熱による殺菌・酵素失活の工程)を行わず、火入れの殺菌処理と同等な処理に置き換えたしょうゆを指す用語で、公正競争規約がその使用基準を定めている[1]。似た響きの「生(き)」は原材料や添加物に関する別の基準を示す言葉であり、両者は同じ意味ではない。輸入食材店や醤油専門店で「なま」「き」という表示を見かけたとき、この違いを知っているかどうかで選び方も使い切り方も変わってくる。
- 「生(なま)」と表示できるのは、加熱殺菌の火入れをせず、それと同等の殺菌処理を行ったしょうゆだけだ。
- 「生(き)」は別の表示で、本醸造で、酵素で醸造を早めず、食塩以外の添加物を加えないしょうゆにだけ使える。
- 火入れをしていないぶん色や香りが動きやすい状態のまま流通するため、使い切りを前提に量を選ぶ。
この記事は「「醤(ひしお・ジャン)」とは何か|東アジア調味料の母体を知る」の各論です。
「なま」と「き」は同じ生醤油ではない
表示規約が定める二つの「生」
しょうゆの表示に関する公正競争規約は、「生」という一文字に対して二つの異なる読み方と使用基準を割り当てている[1]。一つは「生(き)」で、本醸造方式(もろみを発酵・熟成させて得られた清澄な液体調味料を作る製法[3])によるものであって、セルラーゼ等の酵素で醸造を促進しておらず、食塩以外の添加物を加えていないものに限って使うことができる用語である[1]。もう一つは「生(なま)」で、火入れを行わず、火入れの殺菌処理と同等な処理を行ったものについて使うことができる用語である[1]。つまり「き」は原材料と添加物に関する基準、「なま」は加熱処理の有無に関する基準であり、着目している工程がそもそも異なる。
混同されやすい理由
二つの用語が混同されやすいのは、どちらも漢字で「生」と書き、パッケージ上では読み仮名が小さくしか表示されないことが一因である。規約上はこの二つが別の条文で規定されており、根拠となる工程も原材料側と加熱処理側に分かれている[1]。本記事が主に扱うのは後者の「生(なま)」で、これが一般に「生醤油」「なま醤油」と呼ばれているものである。以降「生醤油」という表記は、火入れをしていない、または火入れと同等の処理に置き換えたしょうゆを指す。
| 用語 | 読み | 基準が着目する対象 | 規定内容 |
|---|---|---|---|
| 生 | き | 原材料・添加物 | 本醸造方式によるもので、セルラーゼ等の酵素による醸造促進をしておらず、食塩以外の添加物を使用していないもの[1] |
| 生 | なま | 加熱処理(火入れ) | 火入れを行わず、火入れの殺菌処理と同等な処理を行ったもの[1] |
棚に並ぶ「生」の文字は、読み方まで確認しないまま手に取られやすい。表示のルールを知ると、同じ「生」でも基準が異なる二つの言葉が並んでいることが見えてくる。
公正競争規約が定める「生(なま)」の使用基準
火入れをしないことが条件
「生(なま)」の用語を使うための基準は、公正競争規約施行規則において「火入れを行わず、火入れの殺菌処理と同等な処理を行ったもの」と定められている[1]。この条件は二段構えになっている。
- 火入れという加熱処理そのものを行っていないこと
- それでも殺菌という目的は、別の方法によって満たしていること
つまり「生(なま)」は単に加熱していないという意味ではなく、加熱に代わる殺菌処理を経ていることが前提になっている用語である。
規約が並べているのは三つの語で、原則は禁止
条文の構えを確かめておくと、この二語の関係がはっきりする。施行規則は、「生き」(「生引き」の用語を除く)、「生」又は「生引き」という三つの語について、次のアからウまでの場合を除き、表示することはできない、と定めている[1]。まず禁止があり、そのうえで三つの例外が置かれている、という順序である。つまりこれらの語は、条件を満たしたときに初めて名乗れるものであって、作り手が自由に選べる呼び名ではない。
三つの例外は、それぞれ別の軸で書かれている[1]。
| 用語 | 名乗れる条件 |
|---|---|
| 生き | 本醸造によるものであって、セルラーゼ等の酵素により醸造を促進したものでなく、かつ、食品衛生法施行規則別表第1に掲げる添加物を使用していないもののうち、食塩以外のものを添加していないもの[1] |
| 生(なま) | 火入れを行わず、火入れの殺菌処理と同等な処理を行ったもの[1] |
| 生引き | たまりしょうゆの本醸造方式によるもの[1] |
並べてみると、三語がそれぞれ違うものを見ていることが分かる。「生き」が見ているのは仕込みと添加物の履歴、「生(なま)」が見ているのは火入れという工程の有無、そして「生引き」が見ているのは、たまりしょうゆという分類そのものである[1]。同じ「生」の字を共有していても、条件の当たっている場所が違う。
とくに「生き」の条件は細かい。本醸造であることに加えて、酵素で醸造を促進していないこと、施行規則が挙げる添加物を使っていないこと、そして食塩以外を添加していないことまでが並んでおり[1]、仕込みから詰めるまでの履歴が一本の線で問われている。一方の「生(なま)」は、火入れという一つの工程を行ったかどうかだけを見る[1]。条件の細かさが違うということは、二つの語が保証している範囲も違うということである。
なお「生引き」は、店頭で見かける機会そのものが限られる語だが、規約が三語を一つの号にまとめて置いている以上、「生」の字が付いた表示を読むときは、どの語なのかをまず見分けるのが順序になる。ラベルにふりがなが振られていれば読み方で判断がつくが、振られていない場合は、原材料名の欄や商品説明のほうから、火入れの有無に触れているかどうかを探すことになる。
「同等な処理」という例外規定
規約が示す「火入れの殺菌処理と同等な処理」がどのような技術を指すのか、具体的な処理名や条件は、規約と施行規則を通して読んでも書かれていない。この語が現れるのは「生」の使用基準の一箇所だけで、そこから先の中身は条文の側で規定されていない[1]。したがってこの処理の具体的な手法について数値や固有名詞を挙げて説明することはできない。読者が確認できるのは、「火入れをしていない」という事実と「殺菌処理と同等な措置を経ている」という事実の二つが、「生(なま)」の表示の条件になっているという構造そのものである。
火入れという工程が何をしているのか
醸造の最終段階に置かれる加熱処理
一般的なしょうゆ造りでは、もろみを発酵・熟成させて得られた清澄な液体調味料を得たあと、本醸造方式・混合醸造方式のいずれであっても、最終製品として詰める前の段階が置かれる[3]。この段階で行われる加熱処理が「火入れ」と呼ばれるものであり、公正競争規約が「生(なま)」の基準として名指している工程である[1]。火入れは発酵そのものを止める工程ではなく、発酵と熟成を終えたもろみを搾った後の液体に対して行われる処理である。
火入れをする・しないという分岐点
火入れをするかしないかは、同じもろみから搾られた液体を、そのまま殺菌に相当する処理をして詰めるか、加熱によって殺菌するかという分岐点にあたる[1]。抜粋の範囲では、火入れという語そのものが加熱による殺菌処理を指すことは読み取れるが、加熱の温度や時間といった具体的な条件は示されていない。そのため「火入れ=加熱による処理」という構造の説明に留め、数値を伴う技術的な条件には触れない。
火入れをしないと色と香りはどう動くか
色は品質劣化を測るバロメーター
しょうゆの色は「むらさき」という別名が示すとおり、食欲を左右する要素であると同時に、香味の劣化の程度を測るバロメーターとして扱われてきた分野である[2]。日本醸造協会雑誌に掲載された研究は、しょうゆの色の変化を指標とする品質管理の手法を試みたものであり、色の変化そのものが劣化の目安になるという見方を採っている[2]。この見方に立つと、火入れをしていない生醤油は、火入れによって色と香りの状態がその時点で止められている一般的なしょうゆと比べて、瓶の中で色と香りが動きやすい状態のまま流通していることになる。
家庭で気づきやすい変化
家庭で確認できる範囲では、開栓後に色が濃くなったように見える、香りの立ち方が変わったように感じるといった変化が、生醤油ではより早く現れやすい。これは「色の変化=品質劣化の指標」という見方[2]を、火入れをしていない生醤油の扱いに当てはめた場合の一般的な理解であり、変化の速さそのものを数値で示す資料は本記事の参照範囲には含まれていない。「何日でどれだけ色が変わるか」という具体的な数値は書けないが、「色や香りが動きやすい状態のまま製品になっている」という構造自体は、規約の条文と品質管理研究の両方から裏付けられる。
生醤油の色の濃さに違いがあっても、それを不良品と捉えるのではなく、火入れをしていないことに伴う自然な変化として理解しておくと、選び方の基準が一つ増える。
生醤油は開栓後の扱いが変わる
火入れ済みのしょうゆとの前提の違い
火入れをしたしょうゆは、加熱によって酵素や微生物の働きを止めた状態で瓶に詰められているのに対し、生醤油は火入れをしていない、あるいは火入れと同等の処理に置き換えているだけであり、前提となる状態が異なる[1]。色の変化が品質劣化の指標として扱われる分野であることを踏まえると[2]、火入れ済みのしょうゆと同じ感覚で開栓後の期間を考えるのは適切ではない。一般的なしょうゆの延長として生醤油を扱うと、変化の速さを見誤りやすい。
使い切りを前提にした付き合い方
家庭で生醤油を選ぶ場合、火入れをしていないという前提を踏まえて、購入する量や使い切るペースを普段より意識した方が扱いやすい。冷蔵での保管方法や具体的な保存期間の目安といった開栓後の管理方法は、規約の条文や品質管理研究の抜粋だけでは数値として示すことができないため、その範囲に立ち入らず、「火入れをしていない」という条件そのものが開栓後の扱いを変える理由になっているという構造の説明に留める。
どの料理で差が出るか
香りを立たせたい用途
火入れをしていない生醤油は、加熱の影響を受けていない状態の香りをそのまま含んでいるため、しょうゆの香りを直接感じる料理との相性が語られやすい調味料である。家庭での使い方としては、次のような場面が想定される。
- 卵かけご飯や冷たい豆腐など、加熱せずにそのまま使う料理
- 刺身のつけ醤油のように、香りの立ち方が味の印象を左右する場面
- 冷菜の仕上げなど、香りを後から加える工程
これは色と香りの変化を品質の指標として捉える見方[2]を逆から読んだ場合の使い方であり、火入れによって状態が固定される前の香りを生かす場面として理解できる。
加熱調理では差が縮まりやすい
一方、煮込みや炒め物のように調理の過程でしょうゆ自体に高い温度が加わる料理では、生醤油と火入れ済みのしょうゆの差は、生のまま使う場合よりも縮まりやすい。加熱という工程が、火入れの有無にかかわらず調理の途中で改めて起こることになるためである。抜粋の範囲ではこの点を直接検証した研究は示されていないため、これは規約が定める「生(なま)」の条件(火入れの有無)[1]から導かれる一般的な理解として書いておく。
結論
生醤油とは何かという問いに対する答えは、「火入れをしていない、または火入れの殺菌処理と同等の処理に置き換えたしょうゆ」という一文に尽きる[1]。「生(き)」という原材料側の基準と混同せず、火入れという一つの工程の有無に注目すれば、パッケージの表示は迷わず読めるようになる。色の変化を品質劣化の指標として扱う分野の見方[2]を踏まえると、生醤油を選ぶことは、香りの状態がまだ動いている調味料を選ぶことでもある。生醤油を買うときは「いつもの醤油より早めに使い切る前提で量を選ぶ」という一点だけ覚えておけば、この用語がもたらす違いの大半に対応できる。
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参考文献
- しょうゆの表示に関する公正競争規約及び施行規則 — 「生」の用語の使用基準
https://www.soysauce.or.jp/kousei/hyouji-H31.pdf - しょう油の色と品質管理(日本醸造協会雑誌)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1915/72/1/72_1_18/_article/-char/ja - 食品表示基準 — しょうゆの製造方式の定義(別表)
https://laws.e-gov.go.jp/law/427M60000002010
