自家製発酵の成否は塩分濃度・pH・温度の3要素でおおむね決まる。米国学術研究会議(NRC)の報告書は、ザワークラウトで約2%、キムチで約3%の食塩濃度を挙げ、キムチの適正な酸度を乳酸0.4〜0.8%・pH4.2〜4.5としている[1]。ただし——本記事で最初に断っておきたいのは、これらは「発酵がうまくいく実務の目安」であって、「これを満たせば食品として安全になる」というラインではないということである。ボツリヌス菌の増殖が止まるpHは4.6(非たん白分解性は4.8)であり[4]、乳酸発酵の目標pHとは別の軸の数値である。この2つを混同すると危険な読み違いが起きる。以下、発酵を担う微生物の特性・塩分の役割・pHと酸味の関係・温度管理・失敗の見分け方を、どの数値がどちらの軸のものかを書き分けながら示す。
発酵を担う微生物(乳酸菌・酵母・麹菌)
乳酸菌が作る酸味と保存性
乳酸菌は糖を代謝して乳酸を生成し、食品のpHを下げる細菌である。ザワークラウトでは野菜に付着した乳酸菌(ロイコノストック属・ラクトバチルス属など)が塩水中で増殖する。NRCの報告書によれば、酸の生成速度は温度に強く依存し、7.5℃では約10日で酸度0.4%、1か月で0.8〜0.9%、18℃では約20日で総酸度(乳酸換算)1.7〜2.3%、32℃では8〜10日で同程度に達する[1]。乳酸菌は酸素があってもなくても増殖できる通性嫌気性菌だが、嫌気的な環境でより効率よく乳酸を作る。そのため容器いっぱいに詰めて空気を追い出すと発酵が速く進む。
pHが下がることと安全になることは同じではない。 乳酸発酵で目標になるpH4.2〜4.5は「キムチとしての適正」であり[1]、ボツリヌス菌の増殖が止まる境界(Ⅰ群4.6・Ⅱ群4.8[4])とは別の話である。数字が近いので混同しやすいが、前者は品質、後者は安全の指標である。
酵母が生む風味とアルコール
酵母は糖をアルコールと二酸化炭素に変える真菌である。味噌・醤油・パンでは麹が糖化した糖を酵母が発酵させ、アルコールと香気成分を生む。塩分が高くなるほど酵母の活動は鈍るため、塩分の高い味噌では酵母よりも麹菌と乳酸菌が主役となり、塩分の低い甘酒では酵母が優勢になる。なお、酵母が停止する塩分濃度や死滅する温度の具体的な閾値については、本記事の典拠から数値を引くことができないため示さない。
麹菌がもたらす糖化とうま味
麹菌(アスペルギルス・オリゼーなど)は米・麦・大豆の表面で増殖し、アミラーゼやプロテアーゼといった酵素を分泌する糸状菌である[3]。アミラーゼはデンプンをブドウ糖や麦芽糖に分解し、プロテアーゼはタンパク質をアミノ酸に分解する。この糖化とタンパク分解が味噌・醤油・みりんの甘味とうま味の源泉となる。
麹菌が動き出す条件は、原著が数値で示している。発芽の最適温度は30〜35℃で、湿度は90%以上の環境で発芽するが、100%に相当する純水中では発芽しない。pHは4.5〜7.5までは差がないが、pH3以下では明瞭に発芽率が低下する[3]。増殖できる温度は13℃以上45℃までで、最適温度は35〜38℃付近、最適水分活性(Aw)は0.98〜0.99、生育限界Awは0.90付近とされる[3]。胞子は直径3〜10μmで、重さは100億個で約1gである[3]。
この数値の並びは、家庭の発酵管理にそのまま効く。麹菌は水分活性0.90を下回ると育たない——塩や糖で水分活性を下げる保存法が効くのはこのためであり、逆に麹を仕込むときは湿度を保つ必要がある。また13℃を下回ると増殖が止まるため、冬場の寒い台所で麹が動かないのは異常ではない。家庭で米麹を作る場合は温度と湿度の維持が難しく、市販の乾燥麹や生麹を使うほうが失敗が少ない。
塩分濃度が守る安全(雑菌抑制と乳酸菌優占)
浸透圧で雑菌を抑える仕組み
塩分は水分活性を下げ、細菌の細胞膜を通じて内部の水を奪う浸透圧を生む。この浸透圧が、塩に強い乳酸菌を有利にする選択圧として働く。
NRCの報告書は、この選択圧が上げすぎても効かなくなることを具体的な数値で示している。ザワークラウトの仕込みで食塩濃度を3.5%まで上げると、(乳酸菌側の)増殖が90%阻害される[1]。つまり塩は「多いほど安全」ではなく、狙いの菌まで止めてしまう。だからこそ約2%(ザワークラウト)・約3%(キムチ)という濃度が使われている[1]。
なお、「塩分1%未満だと大腸菌群が先行する」「乳酸菌は5%まで耐える」といった具体的な閾値は、本記事の典拠から数値で引くことができないため示さない。
食品別の塩分濃度(一次で確認できた値と、AJIMUSE Lab の整理)
一次(NRC報告書[1])で確認できた値
| 食品[1] | 食塩濃度[1] | 到達する酸度・pH[1] | 期間[1] |
|---|---|---|---|
| ザワークラウト | 約2% | 18℃で総酸度1.7〜2.3%(乳酸換算) | 約20日 |
| キムチ | 発酵中の適正は約3%(下漬けは5〜7%で12時間、または15%で3〜7時間) | 乳酸0.4〜0.8%・pH4.2〜4.5 | 20℃超より約10℃が好ましい |
| きゅうりの塩水漬け | 5%の塩水 | 酸度0.6〜1.0%・pH3.4〜3.6 | 約2週間 |
以下はAJIMUSE Lab が一般的なレシピから整理した目安であり、上記の一次には含まれない。
| 食品 | 塩分濃度(重量%) | 発酵期間の目安 |
|---|---|---|
| ぬか漬け | 5〜7(ぬか床) | 野菜は12〜24時間で引き上げ |
| 味噌 | 10〜13 | 6〜12ヶ月 |
| 梅干し | 15〜20 | 1〜3ヶ月 |
塩の種類と発酵への影響
精製された塩は塩分濃度の計算がしやすく、発酵速度が安定する。天日塩や海塩はマグネシウムやカルシウムを含み、苦味やえぐみが出ることがある。岩塩は粒が大きく溶けにくいため、事前に水に溶かして塩水を作ってから使うとよい。
※「ヨウ素添加塩は発酵に向かない」という説をよく見かけるが、本記事の典拠にこれを裏づける記述は見当たらなかったため、判断材料として提示しない。
pHの下がり方と発酵の見極め
乳酸発酵とpHの関係
乳酸菌が乳酸を生成するとpHが下がり、酸性環境が強まる。到達値の目安として、NRCの報告書はキムチの適正を乳酸0.4〜0.8%・pH4.2〜4.5、きゅうりの塩水漬けを酸度0.6〜1.0%・pH3.4〜3.6(5%塩水で約2週間)としている[1]。pHメーターまたはpH試験紙で測定すれば、発酵の進行度を数値で把握できる。
ここで安全側の線を引き直しておく。 pH4.5は「キムチとして適正な酸度の下端」であって、「これを下回れば安全になる」という値ではない。ボツリヌス菌の増殖が止まるのはpH4.6以下(Ⅱ群では4.8以下)であり[4]、pH4.5はたまたまその内側に入っているにすぎない。逆に言えば、発酵が思ったより進まずpH5.0で止まっていれば、それは安全側の境界の外にいる。数値を「発酵の進み具合」と「安全の境界」の2軸で読む習慣をつけたい。
発酵完了の目安
ザワークラウトやキムチは、泡が出なくなり液面が静かになった時点で発酵がほぼ完了している。味見をして酸味が立ち、野菜の生臭さが消えていれば食べごろである。発酵を止めたい場合は冷蔵庫に移すと乳酸菌の活動が大幅に遅くなる。常温で放置すると酸味がどんどん強まる。
pHと塩分は独立ではない
塩分とpHは独立して働くのではなく、組み合わさって菌の増殖条件を狭める。FDAの表でも、水分活性・pH・水相塩分・温度は病原菌ごとに別々の限界値として並んでいる。ただし「塩分2%・pH5.0より、塩分2%・pH4.5のほうが腐敗菌の増殖速度が10分の1以下になる」といった定量的な比較は、本記事の典拠には見当たらないため示さない。減塩の仕込みでは、pHが下がり切るまでの時間が延びる分だけリスクの窓が広がる、という定性的な理解にとどめるのが正確である。
温度管理(季節と発酵速度)
温度と微生物の増殖速度
温度が上がるほど酸の生成は速くなる。NRCの報告書がザワークラウトについて示す実測値が、その関係を最もよく表している[1]。
| 発酵温度[1] | 到達する酸度[1] | 所要日数[1] |
|---|---|---|
| 7.5℃ | 0.4% | 約10日 |
| 7.5℃ | 0.8〜0.9% | 約1か月 |
| 18℃ | 総酸度1.7〜2.3%(乳酸換算) | 約20日 |
| 32℃ | 同程度 | 8〜10日 |
キムチについては「20℃を超える温度より、約10℃程度の低い温度が好ましい」とされている[1]。
注意すべきは、高温側にリスクがあることである。 涼しい場所での発酵は遅いだけだが、高温での発酵は乳酸菌以外の菌にも有利に働く。ボツリヌス菌Ⅰ群の発育至適温度は37℃、最低発育温度は10℃であり[4]、常温の室内はこの範囲に入る。発酵が遅れてpHが下がり切らないまま高温が続く状態が、最も避けたい組み合わせである。
季節ごとの発酵管理
以下はAJIMUSE Lab が日本の一般的な室温から整理した運用の目安であり、公表された標準値ではない。
| 季節 | 室温の目安 | 注意点 |
|---|---|---|
| 春(4〜5月) | 15〜20℃ | 朝晩の温度差に注意 |
| 夏(6〜8月) | 25〜30℃ | 過発酵を防ぐため早めに冷蔵 |
| 秋(9〜11月) | 18〜23℃ | 最も管理しやすい |
| 冬(12〜3月) | 10〜15℃ | 発酵が遅く、pHが下がり切るまで時間がかかる |
夏は発酵が速く酸味が立ちすぎるため、こまめに味見をし、好みの酸味になった時点で冷蔵庫に移す。冬は室温が低く発酵が遅いため、暖房のある部屋に置くなど保温を工夫する。
温度計測と記録
発酵容器の近くに温度計を置き、1日1回記録すると発酵速度の予測がしやすくなる。デジタル温度計で最高・最低気温を記録できるものを使えば、夜間の温度低下も把握できる。発酵中の液温は微生物の代謝熱で室温よりやや高くなることがある。液温が高くなりすぎた場合は容器を涼しい場所に移し、氷水で冷やすか冷蔵庫に一時的に入れて温度を下げる。
失敗(産膜酵母・カビ・異臭)の見分け
産膜酵母(白い膜)
産膜酵母は液面に白い膜を張る酵母の総称で、味噌・醤油・ぬか床でよく見られる。無害だが風味を劣化させ、アルコール臭や溶剤臭を生む。産膜酵母は好気性であり、液面に酸素があると増殖する。対策は液面をラップで覆うか、重石で野菜を液に沈めて空気に触れさせないことである。すでに膜が張った場合は、清潔なスプーンで膜をすくい取り、容器の縁をアルコールで拭いてから新しいラップをかける。膜を取り除いた後の漬物は食べられるが、風味が落ちている。
カビ(緑・黒・赤)
カビは胞子が空気中から落下して増殖する糸状菌である。農林水産省は、かび毒を産生しうるかびとしてペニシリウム属・フザリウム属・クラドスポリウム属などを挙げており、「湿潤かつ温暖なわが国の気候はかびの生育に適した環境」としている[2]。
判断の根拠になるのは、次の2点である。 同省は「かび毒の中には比較的熱に強く、通常の加工・調理では十分に減少しないものもあります」とし、また「かび毒が含まれているかどうかは見た目ではわかりません」と述べている[2]。つまり、加熱しても消えず、目視でも判別できない。この2つを踏まえれば、カビが生えた漬物は廃棄するのが妥当な判断になる。
なお「カビはpH4.5以下でも増殖でき塩分5%程度まで耐える」といった具体的な耐性値は、本記事の典拠から数値で引くことができないため示さない。カビを防ぐには、容器と重石を煮沸消毒し、野菜を液に完全に沈め、液面をラップで覆って空気を遮断する。
異臭(腐敗臭・アンモニア臭)
腐敗臭(腐った卵のような硫黄臭)は硫化水素を生成する腐敗菌の増殖を示す。アンモニア臭はタンパク質が分解されてアンモニアが発生した証拠である。どちらも塩分不足または温度が高すぎたことが原因である。乳酸発酵の正常な酸味は酢に似た爽やかな匂いであり、鼻をつくような刺激臭や生ゴミ臭とは明確に異なる。異臭がする場合は食べずに廃棄する。
粘り(ロープ菌)
バチルス属の一部は耐熱性の芽胞を作り、煮沸しても死なない。増殖すると糸を引く粘りを生じ、納豆に似た匂いがする。対策は、発酵初期にpHを速やかに下げることである。具体的な増殖限界のpH・塩分については本記事の典拠に数値がないため示さない。粘りが出た漬物は廃棄する。
結論
自家製発酵は塩分・pH・温度という3つの数値を管理すれば、微生物の挙動を予測し失敗を減らせる。NRCの報告書が示すザワークラウト約2%・キムチ約3%という食塩濃度、キムチの乳酸0.4〜0.8%・pH4.2〜4.5という到達値、そして7.5℃/18℃/32℃で酸の生成速度が大きく変わるという実測[1]を出発点にすれば、代表的な乳酸発酵食品を家庭で再現できる。温度計とpH試験紙という2つの道具を使えば、感覚ではなく数値で発酵の進行を追える。
本記事を書くにあたって最も注意したのは、同じ数値軸に見えるものが別概念だという点である。乳酸発酵の目標pH4.2〜4.5[1]と、ボツリヌス菌の増殖が止まるpH4.6/4.8[4]は、近い値だが意味がまったく違う。前者は「おいしくできたか」、後者は「危険が残っていないか」の指標である。そして塩は多いほどよいわけでもない——NRCは食塩を3.5%まで上げると増殖が90%阻害されると記している[1]。狙いの菌まで止めてしまうからである。
発酵食品を自作する利点は、塩分と発酵度を好みに調整できることである。ただし減塩の方向に振るなら、pHが下がり切るまでの時間が延びることを織り込み、その間の温度管理を厳しくする必要がある。まずは小さな容器で少量から漬けてみるとよい。塩分濃度を測り、室温を記録し、毎日味見をして酸味の立ち方を観察すれば、数回の試行で自分の好みの発酵度が見つかる。その経験が次の発酵、次の食材へとつながっていく。
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参考文献
- Lactic Acid Fermentations(Applications of Biotechnology to Fermented Foods, National Research Council/NCBI Bookshelf収載)
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK234703/ - かびとかび毒についての基礎的な情報(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/risk_analysis/priority/kabidoku/kiso.html - 麹菌と麹(その1)麹菌の特性(奈良原英樹、日本醸造協会誌 89巻11号、1994年、J-STAGE収載・本文PDF)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/89/11/89_11_873/_pdf - 食品安全委員会「ファクトシート:ボツリヌス症」
https://www.fsc.go.jp/factsheets/index.data/20210330botulism.pdf
