味噌の日本史|大陸から来た「醤・鼓・未醤」が味噌になるまで

味噌の日本史|大陸から来た「醤・鼓・未醤」が味噌になるまで

味噌の歴史は、中国大陸・朝鮮半島から伝わった醤・鼓・未醤という発酵食品に始まり、当初は貴族や寺院だけの高級調味料だった[1]。庶民階層まで製法と利用が広がったのは鎌倉から室町時代にかけてと見られ、味噌汁という用法もこの頃に始まったといわれる[1]。16世紀の寺院を対象に据えた論文が読み解く奈良興福寺『多聞院日記』の記録をたどると、今の米みそ・麦みそ・豆みそ・調合みそという分類につながる道筋が見えてくる[1][3]。

この記事の結論
  • 味噌のルーツは中国大陸や朝鮮半島から伝わった大豆の発酵食品で、当初は貴族や寺院の高級調味料だったとされる。
  • 庶民への普及は鎌倉から室町時代にかけてと見られ、味噌汁という用法もこの頃に始まったといわれる。
  • 味噌は長く自家醸造が中心だったとされ、今は全国1,600以上の工場が供給する商品が消費の大部分を占める。

この記事は「「醤(ひしお・ジャン)」とは何か|東アジア調味料の母体を知る」の各論です。

目次

醤・鼓・未醤――大陸・半島から伝わった発酵調味料

味噌は、特別な品から台所の常備品へ移ってきた大陸・半島から伝わった醤・鼓・未醤が貴族や寺院の高級調味料だった段階から、鎌倉〜室町時代の庶民への普及、16世紀の『多聞院日記』の記録、自家醸造の時代を経て工場の商品が消費の大部分を占める今日までを示した年表。年表味噌は、特別な品から台所の常備品へ移ってきた普及の時期は数百年単位の推定。史料で製法を読めるのは16世紀の一寺院の記録から。伝来の当初醤・鼓・未醤大陸・半島から伝来。貴族や寺院の高級調味料鎌倉〜室町時代庶民へ広がったと見られる味噌汁の用法もこの頃に始まったといわれる16世紀『多聞院日記』奈良興福寺の記録から製法が読み解かれる最近商品のみそが大部分自家醸造が中心の長い時代を経て、全国1,600以上の工場が供給年代は出典に無い推定と記録を分ける庶民への普及は数百年単位の推定。製法を具体的に読めるのは、論文が対象にした16世紀、興福寺という一寺院の記録の側である。出典: 16世紀寺院の発酵食品づくり(日本醸造協会誌)/みその商品知識 (I)(日本醸造協会誌)図解:ajimuse.com

醤・鼓・未醤とは何か

日本の大豆発酵食品のルーツは古く、中国大陸および朝鮮半島から伝来した醤、鼓、未醤と呼ばれるものだとされる[1]。この三つの名は、いずれも大豆を発酵させた食品を指す外来語として日本に持ち込まれたものであり、味噌という和名が定着する前段階に位置づけられる。醤という語そのものが東アジアでどのように使われてきたかは別の論点になるため、ここでは味噌の直接の前段にあたる未醤の位置づけに焦点を絞る。未醤は文字面から見て醤の一種と見なされてきた発酵食品であり、後に日本的な変化を経て味噌という独立した呼び名を得ていく。

貴族と寺院が使った高級調味料

醤・鼓・未醤の用途は、当初は貴族や寺院における高級な調味料だったとされる[1]。誰もが日常的に使える食品ではなく、限られた階層の食卓や儀礼に関わる食事の中で扱われていたことになる。この時点ではまだ、日本各地の家庭で仕込まれる調味料という姿ではなかった。貴族や寺院という限られた場に置かれていたということは、味噌の前身が、日々の惣菜を整える道具というよりも、手に入れること自体に意味がある品として扱われていたことを示している。外来の名で呼ばれていた段階の食品が、やがて和名を得て台所の常備品になるという道筋は、その品が特別なものから当たり前のものへ移っていく過程そのものでもある。

庶民階層への広がりと味噌汁の成立

鎌倉から室町時代にかけての普及

醤・鼓・未醤という外来食品は、時代の流れとともに次第に日本的に同化され、その製造と利用が庶民階層まで普及してきたのが鎌倉から室町時代にかけてと見られている[1]。ここで注意したいのは、「普及してきた」という言い回しそのものが、特定の一年や一事件を指すものではなく、長い期間にわたる緩やかな変化を指している点である。鎌倉時代から室町時代というのは数百年に及ぶ幅を持つ時代区分であり、この間のどこかで庶民の間に広がったと見られているというのが、出典の抄録が実際に述べている内容である。

味噌汁という用法の始まり

今日の味噌汁としての用法も、この鎌倉から室町時代という時期に始まったといわれる[1]。味噌が調味料としてだけでなく、汁物の主体として使われるようになった経緯を示す記述であり、味噌の使い方が単一の用途から広がっていく過程の一断面といえる。ただしここでも「といわれる」という留保がついており、確定した史料上の年代を指しているわけではない。

  • 醤・鼓・未醤は当初、貴族・寺院向けの高級調味料だった[1]
  • 製造と利用の庶民層への広がりは鎌倉から室町時代にかけてと見られている[1]
  • 味噌汁としての用法もこの時期に始まったといわれる[1]

16世紀の寺院を扱った論文が読む『多聞院日記』の味噌づくり

奈良興福寺という舞台

奈良興福寺の『多聞院日記』には、大豆発酵食品に関する記録が残されており、この記録から当時の発酵食品の製法がまとめられている[1]。参考にした論文は「16世紀寺院の発酵食品づくり」という題で、16世紀の寺院を対象に据えている[1]。ただし抄録の本文に年代そのものを記した一文は無いため、ここで言えるのは論文が扱う対象の年代までである。興福寺という一つの寺院の記録である以上、そこに書かれた製法が当時の日本全国の標準的なやり方だったと即断することはできない。あくまで、ある寺院における実際の記録として読むべき史料である。

普及の時代と記録の時代を区別する

ここで整理しておきたいのは、庶民への普及が「見られている」時期と、実際に文字史料として残っている時期が一致しないという点である。庶民階層への普及は鎌倉から室町時代にかけてと見られているのに対し[1]、実際に製法の手がかりを与えてくれる『多聞院日記』を読み解いた論文が対象に据えているのは、16世紀、つまり室町時代末期から戦国時代にかけての時期である[1]。言い換えれば、普及の広がりを示す言葉は数百年単位の推定であり、史料として具体的に読み解けるのは、論文が対象にした16世紀という一つの世紀の側である。この二つを混同すると、鎌倉時代の初期にすでに現在の味噌汁に近い記録が残っているかのような誤解を生みやすい。

  • 庶民への普及:鎌倉〜室町時代にかけてと見られている(数百年単位の推定)[1]
  • 製法を読み解いた論文が対象に据える時代:16世紀、室町末期〜戦国期の『多聞院日記』(興福寺という一寺院の記録)[1]

「昔から庶民の味だった」という一文で語られがちな味噌の歴史も、実際に文字で追える範囲はもっと狭い。史料が残る時代と、変化が起きたとされる時代を分けて捉える姿勢は、他の発酵調味料の歴史を読むときにも同じように役立つ視点である。

自家醸造から商品としての味噌へ

家庭でつくる時代が長く続いた

味噌は長い歴史の中で、自家醸造が量的に多かったとされる[2]。各家庭や地域の集団が自分たちで大豆と麹と塩を仕込み、必要な分を作るという形が、商品としての味噌が広く流通する前の基本的な姿だったことになる。これは寺院や貴族向けの高級調味料として始まった時代から、庶民の日常食に組み込まれていく過程とも重なる流れである。自家醸造が量的に多かったという一文は、味噌がどこで作られていたかだけでなく、味の基準がどこにあったかも示している。仕込む単位が家や地域であれば、塩の加減もこうじの割合も、その場所ごとの手加減の中に収まる。地域によって味噌の姿がこれほど違うことの背景に、この作られ方の時代が長く続いたという事実を置いてみると、今日の区分が原材料と工程だけで線を引いている理由も見えてくる。全国の銘柄を一つの物差しで比べようとしたとき、共通して確かめられるのは、結局のところ何をどう仕込んだかという部分だけだからである。

1,600を超える工場という近代の姿

その後、最近では商品としてのみそが消費の大部分を占めるに至ったとされ、全国1,600以上の工場から市場にさまざまな銘柄の味噌が供給されている[2]。自家醸造が主だった時代から、工場で作られた商品を購入する時代への転換は、味噌の歴史の中でも比較的近い時期に起きた変化として位置づけられる。ここで語られている「最近」がどの年代を指すかについては出典に具体的な年号が示されておらず、本記事でもそれ以上の年代を特定しない。

段階味噌の入手方法出典
自家醸造が量的に多かった時期家庭・地域で仕込む[2]
商品としてのみそが消費の大部分を占める時期全国1,600以上の工場から購入[2]

食品表示基準が定める今日の4区分

4区分は、「みそ」の定義の中をこうじの原料で割ったもの食品表示基準の別表で、みその項の定義の下に米みそ・麦みそ・豆みそ・調合みその4区分がこうじの原料によって分かれる入れ子の構造を示した図。構造4区分は、「みそ」の定義の中をこうじの原料で割ったものまず「みそ」の柱の条件があり、そのうえでこうじの原料によって呼び名が分かれる入れ子の作り。みそ(項の定義)大豆などを蒸煮し、こうじと食塩を混ぜて発酵・熟成させた半固体状のもの。砂糖類や風味原料を加えたものも含む米みそ米こうじ大豆に、米を蒸煮してこうじ菌を培養したものを加える麦みそ麦こうじこうじの原料は大麦又ははだか麦豆みそ豆こうじ大豆そのものを蒸煮してこうじ菌を培養する調合みそ上の3つ以外3種を混合したもの、こうじを混ぜて使ったもの等線を引いていないもの塩分濃度・熟成期間・色合いの数値基準や、等級・産地呼称はこの項に無い。「赤みそ」「白みそ」「合わせみそ」は、4区分とは別の系統の呼び名。出典: 食品表示基準 — みその区分(別表)図解:ajimuse.com

米みそ・麦みそ・豆みそ・調合みそ

現在の味噌は、食品表示基準の別表において、米みそ、麦みそ、豆みそ、調合みそという分け方が示されている[3]。この四つは横並びの区分ではなく、まず「みそ」という項の定義があり、その中を四つに割るという入れ子の作りになっている[3]。項の柱にあたる定義は、みそを半固体状のものと限ったうえで、大豆または大豆と穀類を蒸煮したものに、穀類を蒸煮してこうじ菌を培養したものを加えたもの、あるいは大豆を蒸煮してこうじ菌を培養したものに食塩を混合し、発酵させ、熟成させたものと述べている[3]。これに砂糖類や風味原料などを加えたものも同じ項に含まれる[3]。この風味原料という語も条文の側で中身が示されており、かつおぶし、煮干魚類、こんぶ等の粉末又は抽出濃縮物、魚醤油、たんぱく加水分解物、酵母エキスその他これらに類する食品を指すとされている[3]。だしを加えた味噌が売り場に並んでいても、それが別の食品として扱われるわけではなく、同じみその項の二号として収まっているのは、この定義があるからである。調合みその側も、米みそ・麦みそ・豆みそを混合したものだけでなく、米こうじに麦こうじ又は豆こうじを混合したものを使用したもの等、三つのどれにも当てはまらないものを広く受ける形で書かれている[3]。四つの区分はいずれも「この表の中欄に掲げるみそのうち」という書き出しで始まっており[3]、この柱の条件を満たしていることが先にあって、そのうえでこうじの原料によって呼び名が分かれる、という順序である。このうち豆みそは、大豆を蒸煮してこうじ菌を培養したもの(豆こうじ)に食塩を混合したものと定義されている[3]。米みそは、大豆(脱脂加工大豆を除く)を蒸煮したものに、米を蒸煮してこうじ菌を培養したもの(米こうじ)を加えたものに食塩を混合したものと定義されている[3]。麦みそについては、大豆を蒸煮したものに、大麦又ははだか麦を蒸煮してこうじ菌を培養したもの(麦こうじ)を加えたものに食塩を混合したものとされている[3]。麦こうじの原料が大麦とはだか麦の二つで書かれている点は、麦みそを名乗れる範囲を考えるうえで見落としたくないところである。調合みそは、米みそ、麦みそ又は豆みそを混合したもの、あるいは米こうじに麦こうじ又は豆こうじを混合したものを使用したもの等、米みそ・麦みそ・豆みそ以外のものを指すとされている[3]。

区分こうじの種類食品表示基準における定義(確認できる範囲)
米みそ米こうじ大豆(脱脂加工大豆を除く)を蒸煮したものに、米を蒸煮してこうじ菌を培養したもの(米こうじ)を加えたものに食塩を混合したもの[3]
麦みそ麦こうじ大豆を蒸煮したものに、大麦又ははだか麦を蒸煮してこうじ菌を培養したもの(麦こうじ)を加えたものに食塩を混合したもの[3]
豆みそ豆こうじ大豆を蒸煮してこうじ菌を培養したもの(豆こうじ)に食塩を混合したもの[3]
調合みそ-米みそ、麦みそ又は豆みそを混合したもの、あるいは米こうじに麦こうじ又は豆こうじを混合したものを使用したもの等[3]

規定されていること・されていないこと

食品表示基準の別表は、原材料とこうじの組み合わせによって4区分を定めている一方で、みその項を通して読んでも、塩分濃度・熟成期間・色合いといった数値的な基準は置かれていない。等級や産地呼称についても、この項の中には該当する規定が見当たらない。つまり別表が引いている線は、何をどう仕込んだかという原材料と工程の線だけであり、甘口か辛口か、白いか赤いかといった、店頭で買い手が実際に気にする軸は、この条文の外側にある。同じことは逆向きにも言える。「赤みそ」「白みそ」「合わせみそ」といった売り場の言葉は、この四区分とは別の系統の呼び名であり、条文に根拠を求めても対応する定義には行き着かない。分類の軸がこうじの原料(米・麦・大豆)と、複数を混ぜたかどうかにある点は明確だが、それ以上の細かな品質基準を語る場合は、この別表とは別の資料を確認する必要がある。

結論

味噌の歴史をたどると、大陸・半島由来の醤・鼓・未醤という高級調味料が、鎌倉から室町時代にかけて庶民の食卓に広がったと見られており、その広がりの延長線上に、16世紀の寺院を対象に据えた論文が読み解く『多聞院日記』という具体的な記録がある[1]。自家醸造が中心だった時代を経て、全国1,600以上の工場が供給する商品としての味噌へと移り、今日では食品表示基準が米みそ・麦みそ・豆みそ・調合みそという4区分でその姿を整理している[2][3]。この流れを読むと、「昔からある味」という言葉の裏には、推定でしか語れない普及の時代と、論文が対象に据えた16世紀という限られた時代の両方が重なっていることが分かる。輸入食材店やスーパーの味噌売り場でパッケージのこうじの種類を確認するとき、この4区分の分かれ方を知っているだけで、選び方の手がかりが一つ増えるはずである。

参考文献

  1. 16世紀寺院の発酵食品づくり(日本醸造協会誌)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/85/3/85_3_167/_article/-char/ja
  2. みその商品知識 (I)(日本醸造協会誌)
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/89/10/89_10_762/_article/-char/ja
  3. 食品表示基準 — みその区分(別表)
    https://laws.e-gov.go.jp/law/427M60000002010

この記事を書いた人

AJIMUSE Lab は、世界の調味料メディア AJIMUSE をつくっている編集ラボです。Codex(国際食品規格)、EU の規則と原産地呼称の登録簿、国際オリーブ理事会の規格、日本の JAS 規格と食品成分表、米国農務省やインド香辛料庁の資料、査読論文——本国の規格や公的機関の資料を中心に、一次資料を原典で読むことを出発点にしています。現地の言葉で書かれた規格や資料の読み解きと下書きにはAIを使い、数字や固有名詞は人が出典に当たり直して、裏が取れないものは落としてから公開します。編集方針と記事のつくりかたは運営者情報にまとめています。

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